文カジ 2章目

2章目 ジョゼ・サラマーコ゚のつもりで

 ボンジュール、ジュマペールエミリ。ジュスィレトゥディアントジャポネーズ。何回も繰り返したこの言葉は、きっと口に変換予測機能がついていたならばいのいちばんに一気に変換されていただろうフレーズで。あの日なんでか選んでしまったフランス語クラスの最初の日、どきどきのなかでアーとかべーとか見知った形が知らない音になったはじめのその日から、私の口の予測変換に加わった。隣の知らない学生だって見れば当然日本人なのに、なんでか私たちずっとフランス語でわかりきった自己紹介を繰り返してる。ボンジュール、ジュマペールエミリ、ジュスィレトゥディアントジャポネーズ。エトワ。モア、ジュマペールクロード、ジュスィレトゥディアンジャポネオッスィ。ねえ男子学生って本当にオッスィで同じだって言っていいのかななんて日本語を話していたら、先生にアタンションと叱られるのまで多分予測変換でつながって出てくるだろう。あれから何年経ってかまた学生になって、おんなじフレーズを口にするたびに、続きのフレーズが全部違って暗号みたいに音がそのまま耳に流れ込んでくる。その音に意味なんてない。クロードと自分を呼んだあの子はもう隣にいるわけもない。クロードはもうフランス語なんて忘れてしまったに違いない。絶対にそう。だってあいつ四年生になってもまだフランス語の再履修を取っていて、それから駅員になったんだって。駅ではボンジュールなんて使わない。きっと彼のいまの予測変換は、一番線に上り電車が参ります。黄色い線の内側までお下がりください。駆け込み乗車はおやめください。ドアしまります。